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来島海峡大橋
来島海峡大橋
平成11年に完成した世界初の三連吊橋、来島海峡大橋。海流が最大10ノットにもなり、海の難所として知られる約4kmの海峡に自然景観や航行船舶への影響などさまざまな条件を考慮し建設されました。瀬戸内海国立公園のなかでも有数の多島美を誇る来島海峡にふさわしい威容は折々にその表情を変え、見る人を魅了します。
潮風にふかれ、海の道を散歩する
来島海峡大橋をはじめしまなみ海道は自転車歩行者道が併設されています。晴れた日、眼下に広がる海を眺めながら歩くのは最高!ですが、暑い季節には夜のお散歩がおすすめ。月夜にゆっくり歩いてヒーリングしてはいかがでしょう。今治側からは糸山にある来島海峡展望館への途中、サイクリングターミナルサンライズ糸山付近に歩行者・自転車道入り口があります。通行料は徒歩無料です。
自転車や125cc以下の二輪車及び原動機付自転車は有料です。 来島海峡大橋は200円。ちなみに来島海峡大橋から尾道大橋まで走ると(走行距離約74km!)料金は510円。内訳は来島海峡大橋200円、伯方・大島大橋50円、大三島橋50円、多々羅大橋100円、生口橋50円、因島大橋50円、 尾道大橋10円。料金箱に各自で入れるようになっています。入り口から橋までは1km足らずの坂です。レンタサイクルシステム有り。料金は半日大人400円です。元気のある方、チャレンジしてみてはいかがでしょう。
※今治市サイクリングターミナル「サンライズ糸山」・TEL0898-41-3196
来島海峡大橋おすすめのビューポイント1・亀老山展望公園
来島海峡大橋を渡り、大島ICを降りて程なく、亀老山入り口の標識があります。山道をドライブして登ると、ここからの眺めは特におすすめ。展望台からは360度の眺望。日中の景色の良さはもちろん、朝日は燧灘の彼方から昇り、夕方には来島海峡大橋の向こうに夕日が沈みます。夜は今治の夜景と満天の星空。また、来島海峡大橋のライトアップの日時は渡り鳥など自然へおよぼす影響等を考慮され定められています。
来島海峡大橋おすすめのビューポイント2・糸山公園
今治北ICから車で約5分の糸山公園からは、来島海峡大橋の橋脚を間近に見ることができます。大潮時には馬島の近くに渦潮の巻く光景も。橋のできるまでを紹介した来島海峡展望館があります。
※来島海峡展望館・TEL0898-41-5002・10〜18時・料金無料
西瀬戸自動車道・しまなみ海道
海をあるく、しまなみ海道
しまなみ海道の愛称で呼ばれる西瀬戸自動車道・今治ー尾道ルートは、広島市尾道から、 美しい景色を愛でつつ水軍のロマンを秘めた大小8つの島々をめぐり、四国の愛媛県今治市へと渡ります。 橋には自転車道・歩行者道を併設しており、歴史の海を歩いて渡ることもできます。 全長60kmの間にちりばめられた10本の橋は、吊橋、アーチ橋、斜張橋など多彩な顔を持ち、 それぞれに風景と調和した特色ある美しさは感動的です。

切手で渡る、しまなみ海道
「しまなみ」の言葉どおり、連なる島々を結ぶ橋。それぞれに違う表情で。 その風景を描いた切手が発行されています。しまなみ海道切手の旅。


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来島海峡第一・第二・第三大橋
約4kmの海峡に架かる来島海峡大橋は、大島から今治市に向かって来島海峡第一大橋(960m)、来島海峡第二大橋(1.515m)、来島海峡第三大橋(1.570m)と連なる、世界初の三連吊橋です。平成11年完成。海の難所として知られる来島海峡の、自然景観や航行船舶への影響など様々な条件を考慮して建設されています。
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伯方・大島大橋
伯方橋(桁橋325m・伯方島−見近島)と日本で初めて補剛桁に箱桁を採用した大島大橋(吊橋840m・見近島−大島)という構造の異なる二つの橋。昭和63年開通。
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大三島橋
大三島橋(328m)は、伯方島−大三島間を美しい曲線でひとまたぎしたアーチ橋です。西瀬戸自動車道のトップを切って昭和54年開通。
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多々羅大橋
県境をまたぐ世界一の長大斜張橋、多々羅大橋(1.480m)。鳥が羽を広げた姿に例えられる優雅な景観です。平成11年完成。
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生口橋
生口橋(790m)は、主塔間の桁は鋼鉄、側支間はコンクリート製という、日本初の複合構造による斜張橋です。平成3年完成。
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因島大橋
因島大橋(1.270m)は、昭和58年の完成当時には東洋一の規模を誇った吊橋です。
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新尾道大橋・尾道大橋
新旧二つの斜張橋は、昭和43年完成の尾道大橋(385m)と、平成11年完成の新尾道大橋(546m)です。二つの橋はわずか55m離れて並んでいます。
歴史と文化の海
文化人も愛した来島海峡
来島海峡には多くの文化人が訪れています。急潮と歴史のロマンを秘めた海の島々と渦や小舟が織りなす美しい風景に魅了されるのかもしれません。吉井勇や野口雨情がその雄大な姿を詩に詠んでいます。俳人・高浜虚子も、姪である今井つる女が今治市波止浜に住んでいたこともあって再三訪れて作句しています。

くるい汐なりや くるい汐なりや 来島瀬戸の汐も ぜひなや渦もまく 野口 雨情
夕ざれば 潮は早み来島の あらせ鳴瀬を 船くだりゆく 吉井 勇
来島の 瀬戸のうず潮 とどろとどろ たかなる聞けば 雄心の沸く 吉井 勇
全く明けて 春残月や 渦の上 松根東洋域
春潮や 和寇の子孫 汝と我 高浜 虚子
戻り来て 瀬戸の夏海 絵の如し 高浜 虚子
渦汐に ふれては消ゆる 春の雪 今井 つる女
渦つくる 潮の勢ひ 簾ごし 塩崎 素月
かくれ来る 渦潮に浮き春鴎 塩崎 素月

来島海峡の橋脚を間近に望む糸山公園周辺には、高浜虚子の句碑や野口雨情の歌碑が建てられています。また、円蔵寺山の中腹にある観潮楼には吉屋信子、大仏次郎、井上靖たち文壇の大御所が逗留して興趣を愉しみました。
水軍が活躍した歴史の海
しまなみ海道一帯の海、芸予諸島は水軍が活躍した歴史の海でもあります。
伊予水軍の中核をなす能島、来島、因島の三島村上水軍は室町時代から戦国時代にかけてこの海一帯を支配しました。すべての経済力を合わせると50万石に匹敵するものだったといわれ、動乱の歴史に様々な影響を与えました。
最大では10ノットにも及ぶ急流の海を知りつくした海の男たちが、縦横無尽に駆け抜けた伝説は、今でも其処此処に語り継がれています。

水軍の歴史

平安中期、律令国家の矛盾から、東国の平将門の乱(※1)や西国の藤原純友の乱が起き・・・

とりわけ瀬戸内海は古代国家の時代から交通の要所に当たり、芸予諸島の領主層は、中央の権力支配から分立していき、しだいに海賊衆を配下に糾合して武士団を形成していった。
村上水軍の起源は1063年(康平6年)2月、源頼義が伊予国(愛媛県)の国主に任じられたところと考えられる。

その流れが村上源氏としてこの地に勢力の拡大を計ったが中央における平家の台頭によって阻まれた。平忠盛は備後や安芸、周防の屋代島などの海賊武士団を手中に収めて、これらの商船をもって西海に通じ、宋との貿易を行ない巨大な富を蓄積した。その後平氏は瀬戸内海を中心とする西国を足掛りに、旭日のような勢力を伸ばした。

しかし、源頼朝の挙兵を応援した河野通信、村上頼冬などの協力で平氏を壇ノ浦の海底に沈めた。

承久の乱(※2)衰退した河野、村上の両氏は倭寇と関連を保ちつつ勢力を挽回していった。

その後1274年(文永11年)の文永の役と1281年(弘安4年)の弘安の役(※3)に際し、河野通有は村上水軍をひきいて奮戦し、その功績を大いに認められた。

元寇の役後、村上氏は再び海運業を振興し、一族それぞれ芸予の島々に住み繁栄していった。(村上師清の3人の子達が因島、能島、来島にそれぞれ拠点を置いたため、村上三島水軍と呼ばれることとなった。)

南北朝の内乱(※4)に際しては、伊予の忽那水軍が最も南朝に味方して奮戦したが、室町幕府の統一によって、終止符が打たれた。

この間、中国地方では毛利氏が勢力を拡大し、村上水軍はその配下におさめられた。その後、戦国時代(※5)に入り、毛利の村上水軍と織田の九鬼水軍が一大決戦を行ない、村上水軍は九鬼水軍の巨艦と大砲に屈した。※ドラマ化もされた三島水軍うら若き乙女鶴姫の哀話はこの頃のでき事。

信長の遺志を継いだ豊臣秀吉は朝鮮の役(※6)を起こし、村上水軍もこの戦役で奮戦したが、朝鮮の水軍に各地で破られた。
その後、秀吉の天下統一によって出された「海賊取締令」によって村上水軍も衰退の一途をたどり、歴史の渦の中に消えていった・・・。

※1平将門の乱 平安中期、関東に起こった内乱。平将門は939年常陸、下野、上野の国府を占領、一時関東を支配下に置いたが940年に討たれた。同時期の瀬戸内海における藤原純友の乱とともに承平・天慶の乱という。
※2承久の乱 1221年(承久3)後島羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。公家勢力の権威が著しく失墜した。
※3文永・弘安の役 1274年(文永11)と1281(弘安4)年の二度にわたる元軍(蒙古)襲来。元のフビライは遠征軍を送り壱岐・対馬を侵略し博多に迫ったが二度とも西国御家人の奮戦と折りしも襲った暴風雨によって艦船の大半を失い敗退した。元寇の役。
※4南北朝時代 後醍醐天皇が京都より吉野へ入った1336年から、後亀山天皇が京都へ帰る1392年までの、京都に持明院統の北朝と、吉野に大覚寺統の南朝との二つの朝廷が対立した時代。大きな社会変動が続いた。
※5戦国時代 応仁の乱(1467-1477年)から1568年の織田信長入京頃までの混乱期。群雄割拠、戦国大名の登場と下克上の時代で、各地に戦乱が続いた。
※6朝鮮の役 1592年(文禄1)に開始された豊臣政権による朝鮮侵略戦争。日本軍は緒戦で朝鮮軍を破ったが、反撃にあい、翌年明との間に停戦協定が締結された。しかし和平条件の齟齬のために破れ97年に再開された戦闘は翌年秀吉の死に至るまで続いた。過酷な軍役・徴発によって豊臣政権の基盤も動揺する結果となった。

鶴姫哀話
今から約550年程前、天文12年(1543年)6月、周防の大内義隆の水軍が大三島神社の宗教的権威を手に入れようと攻め込んだ。迎撃つ三島水軍、その中に18歳 の女大将鶴姫の姿があった。鶴姫は実の兄で三島水軍の大将・大祝安房の戦死により、水軍の指揮をとっていた。

海は荒れ横殴りの雨が降るなか、周防大内方の軍勢と迎撃つ三島水軍の海士たちとの死闘が連日繰り返された。父より賜った紺絲威の鎧を身につけたうら若き鶴姫は戦を勝利に導いたが、戦いが終わって引き上げた三島城に恋人安成の姿はなかった。

鶴姫の悲しみは深く、

    わが恋は三島の浦のうつせ貝
        むなしくなりて名をぞわづらふ

の一首を残して、その夜船を漕ぎ出し、母の形見の鈴を胸に恋人を追って海の泡と消えてしまった。

今でもこのあたりの海を通ると、鈴の音が聞こえるという。
鶴姫の紺絲裾素懸威胴丸。現在する日本唯一の女性用鎧。胸の部分がふっくらとして、ウエストがひき締まり、女性らしい優美な形をしている。
(大山祇神社蔵)
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